(※記事中の語句のリンクは、その語句について詳しく解説したMocosuku姉妹サイトが開きます)
自分の中にはなかった「ちゃんと」の基準
カウンセラーと話していく中で、けんじさんは自分が少々病的に「ちゃんとしないと気が済まない」性格なんだと気づきました。
何をするにも、「これで十分」と満足できた経験がなく、いつも「ちゃんとやらなきゃ」「この先ちゃんとやり切れるかなんて保証はないから、頑張り続けなきゃ」と考えてきたのです。
「これじゃあ抑うつ的にもなるよなって、妙に納得しました」とけんじさんは言います。
「しかも、その『ちゃんとする』という基準が、『人の目からちゃんとしているように見えるかどうか』だったんです。要は、人の目にどう映るかという尺度しかなくて、自分なりの基準がなかったんですね」。
そのことに気づいてから、けんじさんは「自分がどう感じているか」をきちんと感じ取ろうと取り組み始めました。
幼少期の体験から思い出す毒親の影響
ちゃんとしなければいけない、という強い思い込みは、親の影響が大きいとけんじさんは言います。
彼の親は、子供の目にも「そこまでしなくても」と思えるほど体面を気にする人たちでした。
「外食した時に、飲み物をこぼしちゃうことってあるじゃないですか。そんな時、お店の人が『大丈夫ですか』って来てくれますよね。私の親は笑顔で『すみませんね』なんて笑顔で対応して、私にも『大丈夫?』なんて声を掛けるんだけど、お店の人がいなくなった途端、ものすごく冷たい目で責めるように見るんです。いま思えば、子供の私は『ごめんなさい』って思うよりも、『ちゃんとしていないと、また親に嫌われる』って思うようになったのかもしれません」。
スポンサーリンク