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毒からいまだに癒やされていない自分
その後通い始めたカウンセリングで、「阿修羅像と向き合っている時に、何が浮かんでいるの?」と尋ねられました。しばらく考えてから、みほさんは「優しさ。どこまでも深い優しさ」と答えました。
口にするまで、自分でもそんな感覚に気づいていませんでした。初めて自分の中にある親の「毒」を感じたのです。
そしてその毒から自分が癒されていないことにも気がつきました。
「どうせ世の中なんて、人なんて」という態度で生きてきた。他人に気を許して安心することもあったけれど、どこかでそういう自分をバカにしてきた。それは、「どこまでも深い優しさ」に飢えてきたことの裏返しだったのだ。それを親のせいだと考えるのは嫌だけど、影響を受けているのは疑いようがない。
そう思うようになったのです。
毒を抜くことで心の鎧も不要に
このような視点で過去のことを振り返ると、親に対する憎しみや恨みの感情が湧きました。
子供の頃のみほさんは「どこまでも深い優しさ」を求めていたにもかかわらず、親はそれを与えてはくれませんでした。
いつしか「どこまでも深い優しさ」なんてものはありはしない、という思いが芽生え、それが世の中や他人に対するあきらめにつながっていきました。知らず知らずのうちに心に「あきらめ」という鎧を着けることで、みほさんは親の毒から自分を守ってきたのです。
いまさら親に復讐したいとは思わないけれど、このままでは親の毒から自由にはなれない。
みほさんはそう考え、カウンセリングに通い時間をかけて「毒を抜く」作業を続けました。いまではもう、心に鎧を着けなくても怖くない、とみほさんは言います。彼氏には、変わったね、と言われるそうです。
彼女自身も、自分がこんなに優しくなれるとは思ってもみなかった、と驚いています。
(※この記事は、実際の複数の事例を参考に構成した架空のものです)
<執筆者プロフィール>
玉井 仁(たまい・ひとし)
東京メンタルヘルス・カウンセリングセンター カウンセリング部長。臨床心理士、精神保健福祉士、上級プロフェッショナル心理カウンセラー。著書に『著書:わかりやすい認知療法』(翻訳)など
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