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あいまいな「老衰死」
「死因としての「老衰」は、高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死の場合のみ用いる」(死亡診断書記入マニュアル、厚生労働省)というのが公式な「老衰死」の定義です。
老化による自然死が「老衰死」の意味するところです。
この定義では病気や事故といった「他に記載すべき死亡の原因」がないことを“自然死”と定義しています。
しかし70歳を超えて「どこも悪いところがない」という人は、一体どれほどいるのでしょうか?
昨今の研究では、老化の生理・生物学が解明されてきています。「老いる」ことは細胞や組織のレベルでも起こっています。
むしろ、免疫が弱って感染症にかかったとか、動脈硬化で脳卒中が起こったなどは、老化の“自然”とは言えないのでしょうか?
現実には「病気の治療などを受けていなかった」高齢者が死んだとき、事故や事件性がなければ“自然死”、つまり「老衰死」と判断されるのでしょうか?
死亡の確認をし診断をするのは医師の役割です。
『NHKスペシャル「老衰死~穏やかな最期を迎えるには~」』(2015年9月放送)では、老年医学会が行った全国の高齢者医療に従事する医師を対象としたアンケート結果を紹介し、「老衰死として診断することに対して、難しさや不安・葛藤を感じたことはあるか」という質問に対して、46%が「ある」と回答しています。
その理由は次のようなものでした。
・老衰死の定義が不明確
・高齢者の場合、複数の疾患が複雑に絡み合っている症例が多く、老衰死と診断するのが難しい
・老衰死とすることを認めるための社会的合意が必要だから
(参考:NHKスペシャル取材班『老衰死』講談社、2016.より)
このように、専門医でさえ診断が難しいのが「老衰死」と言えるでしょう。
介護現場にみられる「老衰死」の現実
同番組では一方で医師や研究者(国外も含めて)へのインタビューを行いながら、もう一方で、現場で「老衰死」の経験に密着するという、二本立てのスタイルで番組が構成されています。
とくに、東京都世田谷区特別養護老人ホーム「芦花ホーム」での取材が大きく取り上げられています。
その中で、石飛幸三医師が中心となって「平穏死としての老衰死」を看取っていると番組は紹介しています。
緊急に搬送された病院では、医師も患者と接触できる時間は限られ、とくに「老衰死」と判断するのは至難のことでしょう。
その点、介護施設などではかなりの時間を、本人と接しながら診ていくことが可能です。それが、「老衰死」という判断を可能なものとしているように思えます。
そして、老衰死していく人たちが共通して見せるサインが、次の3つだと言います。
・亡くなる1週間ほど前から食べなくなる
・多くの時間を眠り続ける
・大量の尿が出て、枯れるように亡くなる
(参考:同上書より)
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