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愉快犯の行動 も多様化してきています。
最近、郊外の解放感のある大きな公園にいくと、ちょっと前まで見かけなかった看板を目にするようになりました。
ドローン飛行禁止の看板です。
ドローンといえば警察から再三注意を受けたにも関わらずドローンを飛ばす行為をネット上に流す少年の事件が記憶に新しいことと思います。
この事件は、少なくともマスコミ各社の報道では、少年が何を目的にしていたのか見えてこないままになっています。
少年に取っては実質的なメリットが何もないのです。
同じく行為者の実質的なメリットが見えにくい事件はこれまでにもたくさんありました。
たとえば、Googleマップなど利用者が多いサービスを改ざんして人々を混乱させる、または気密性の高いシステムやデータベースに不正アクセスして関係者を困らせる、などがそうです。
このような行為のほとんどは、行為者には労力の損失や触法リスクといった事実上の損害が発生します。
にもかかわらず、行為に及ぶということは、他人や社会を驚かせて、または困らせることを喜んでいるとするとしか思えません。
彼らはマスコミなどでは「愉快犯」と呼ばれているようです。
この愉快犯たちは何が面白くて、何を喜びとして、このような行為に走るのでしょうか。
愉快犯の行動 :自分を認めさせたい欲望!?
それは人々を翻弄して自分の実力を人々に見せつけることで、万能感に酔いしれる喜びです。
人は誰もが「仲良くしたい、できれば優位に立ちたい、尊敬されたい」という願望を持っています。
一般的には「仲良くしたい」が「優位に立ちたい、尊敬されたい」よりも優先されるので、強引に自分の威力を見せ付けることはしません。
威力を振り回すだけの人は誰も仲良くしてくれないからです。
なかには、「優位に立ちたい、尊敬されたい」を放棄して生きている人すらいます。
ですが、人は時に「仲良くしたい」を放棄してしまうこともあります。
そうなると、自分の力を誇示したり、人を困らせて喜ぶようになるのです。
その一つのパターンは自分の実力に酔いしれるあまり、調子に乗ってしまうものです。
この場合は、「仲良くしたい」を本当に放棄しているわけではなく、尊敬されると、または畏敬を集めることで仲良くできると考えています。
若い人には珍しくない状態で、その多くは一時的です。
愉快犯と呼ばれる人たちはこのパターンではありません。
もう一つのパターンは、もっと積極的に、そして確信を持って「仲良くしたい」を放棄しているものです。
言い換えれば、攻撃性をむき出しにするパターンです。
これは、私たちの研究では周囲の人たちが信じられないときや、他の人たち、特に両親からから軽く扱われていると感じるときにこうなりやすいようです。
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