(※記事中の語句のリンクは、その語句について詳しく解説したMocosuku姉妹サイトが開きます)
死の恐怖 :「死」を最大の恐怖とする理論の存在
「死」は宗教や法律をはじめ、多くの分野で考察されている奥深いテーマです。
臨床社会心理学にも多くの考察がありますが、今井さんのような気高い死に方は、テラー・マネジメント・セオリーと呼ばれる理論で考察されてきました。
この理論では「死」を人生最大の恐怖と位置づけます。
そして、この理論で最も大事なことは「死を怖がりながら生きること」が人生と呼べるのかどうか疑問を投げかけるところです。
みなさんは、どう思いますか?
死を怖がっていきる日々は「生きている」と言えるでしょうか。
生きることの解釈にはいろんな視点がありますが、少なくとも死の恐怖に縛られた日々は「人生の価値を実感しながら生きる(これを実存的問題と言います)」という意味では生きているといえるかどうか微妙です。
「死」は多少の先延ばしはできるものの、決して避けられないライフサイクルです。
私にも、あなたにも、確実に訪れます。
このことを、私たちはどう受け止めれば、いいのでしょう。
死の恐怖 から、解放されるということ
人は社会的な存在です。
仮に自分の肉体が滅んでも、そのあとに自分の存在感を残せれば社会的には滅びたことにはなりません。
人は他者の中の自分の存在感で自己確認をする生き物です。
肉体的な死後も自分の存在感が永続すると感じられれば、自分という存在も永続するように感じられるのです。
言い換えれば、死後の自分が良い形で語り継がれ、立派な人として人々に認識されるのであれば、肉体的な死の恐怖や不安からかなり解放されるのです。
今井雅之さんは、後進思いの気高い俳優として最後まで振舞いました。
きっと、自分が生きている価値はここにあると悟り、迷いなく気高い今井さんとして生き抜いたことでしょう。
そして、その今井さんに最後まで後進もマスコミも注目し、その勇気と気高さを称えました。
このことが、今井さんの死の恐怖を和らげて勇気を与えたことと思います。
こうして、最後まで気高く生き抜かれたのではないでしょうないでしょうか。
スポンサーリンク