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「薬害」と副作用
「薬害」というコトバに対する正式な定義はありませんが、一般的には
「医薬品の有害性に関する情報を、加害者側が(故意にせよ過失にせよ)軽視・無視した結果、社会的に引き起こされる人災的な健康被害」
と考えられています。
(引用:全日本民主医療機関連合会HP『くすりの話 94 副作用と薬害、どう違う?』https://www.min-iren.gr.jp/?p=4255)
薬害と間違われやすいものに「副作用」がありますが、これは薬害とは全く異なるものです。
副作用は、目的としていた作用にともなって現れる身体にとって良くない作用のことをいい、薬は副作用も踏まえた上で有効性の方が高いと判断され、用いられています。
これに対して薬害は、薬が持つ有害性が軽視・無視されることで引き起こされています。
ですから、両者は全く別物なのです。
これまで日本では、さまざまな薬害事件が起こり、多くの被害者を出してきました。
具体的にどのような薬害事件があったのか、詳しくみていきましょう。
日本の薬害事件
ここでは2つの薬害事件を取り上げ、具体的にどのような薬害が起きたのか、みていきます。
サリドマイド薬害事件
「サリドマイド」とは、1950年代~1960年代にかけて世界で販売された鎮静・睡眠剤で、日本では胃腸薬にも配合されていました。
「妊婦にも安全」などと謳われ、つわりに効く薬として妊娠中の女性も多く服用していました。
ところが、1959年頃より妊娠初期にサリドマイドを服用した母親から、手足に奇形障害のある子どもが生まれるようになりました。その数は世界で5850人にのぼり、日本でも309人が被害児として認定されています。
このような事態を受け、1961年にはドイツ人医師のレンツ氏などがサリドマイドの回収を求めました(レンツ警告)。
ところが、日本では「レンツ警告は科学的でない」などの理由によってすぐに回収が行われず、最終的にすべての薬が回収されたのは、諸外国よりも10カ月も遅い1963年でした。
このような対応の遅さは被害の拡大を招きました。
薬害エイズ事件
薬害エイズ事件は、1983年、アメリカから輸入した非加熱血液製剤によって起こった薬害事件で、先に述べた「誓いの碑」建立のきっかけにもなりました。
血液製剤は、先天的に血液が固まりにくい障害をもつ血友病患者の治療に使われていました。血液製剤にはヒトの血液やそこから得られた成分が含まれていますが、身体にとって害のある成分が含まれることもあるため、適切に処理された後、使用される必要があります。
ところが、その当時輸入された血液製剤には加熱処理がされていませんでした。
その結果、エイズの原因ウィルスであるHIVが混入された血液製剤が混ざってしまい、これを使用した血友病患者がHIVに感染してしまうという事件が起こりました。この血液製剤による感染者数は2000人以上といわれています。
さらに、感染の告知が遅れたことから、感染者からの二次感染や三次感染が起こり、最終的な被害者は5000人以上ともいわれています。
薬害エイズ事件も、サリドマイド薬害事件と同じように感染者数の増加を防ぐことは可能だった事件でした。なぜなら、1982年にはすでにアメリカで、この血液製剤によるHIV感染者が確認されていて、警告もなされていたからです。
にもかかわらず、相変わらず安全性を謳う広告が打たれたり、加熱血液製剤の緊急輸入が行われないといった対応の遅れによって、感染者数はここまで増大してしまいました。
このように、薬害事件は薬の有害性が正しく評価されず、対応が遅れることで発生する人災といえます。
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