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「子どもならでは」の特徴も原因になり得る
虐待をする親の心理を考えるうえでもう一つ大事なポイントがあります。
新幹線や飛行機の中で子どもの泣き声が聞こえると、ひそかにしかめっ面をしている人を見たことはありませんか?
人は子どもの泣き声や落ち着きのなさを不快に感じることがあるのです。
実は子どもは大人の耳によく届く泣き声を出すように作られています。自分がどこにいるのか、すぐに保護者にわかってもらうためです。
そして自分が生きている世界を良く知るため、好奇心旺盛で落ち着きなくも作られています。「我慢」を生み出す脳も未成熟なので、些細なことで泣き声を上げるわけです。
一方で現代社会では大人は大人で「忙しい」状況です。
「あれをやらなきゃ」「次はこれを…」と文字通り次々と課題に追われています。「忙しい」とは「心を亡くす」を書くわけですが、少なくとも「子どもを守る」という心を亡くしている人も多いようです。
その中で子どもの泣き声が聞こえてくると、耳によく通るので頭の中で鳴り響いているように感じるのです。当然、自分の課題の邪魔にしかなりません。リラックスもできません。こうして子どもが邪魔で疎ましいものに見えてくるのです。
「親として周りに大切にされる生き方」の重要性
最後に虐待する親には「しつけのつもりで…」ということも多いようです。その多くは子どもにはできないようなことを期待して、「悪いことをしたから!」となるようです。「子どもは思い通りにはならないもの」という前提がどこかで抜け落ちているようです。
最も大事なことは父親も含めて「親が親として大切にされる」環境があることです。
補助金などで経済的な支援をするのも大切ですが、虐待の現場を見ているとちょっと違う印象もあります。
それは「親として周りに大切にされる生き方」を知らない人、あるいは知っていてもできない人がとても多いのです。これは社会の問題でもあり教育の問題でもあります。
伝統的な日本のムラ社会はさまざまな世代が混じり合いながら暮らすことで、生き方を学べました。
しかし、都市化された現代社会ではその機会が崩壊していることも事実です。教師は教科教育や研修、学校行事に追われている状況もあるようですが、学校が生き方を学ぶ場だったら何かが違ったのかもしれません。
<執筆者プロフィール>
杉山 崇
神奈川大学人間科学部/大学院人間科学研究科教授。心理相談センター所長、教育支援センター副所長。臨床心理士、一級キャリアコンサルティング技能士、公益社団法人日本心理学会代議員。
公式サイトはこちら⇒ http://www.sugys-lab.com/
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