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「ゆとり世代」は被害者でもある
そして「ゆとり教育」を導入した主体である文部科学省が事実上の「脱ゆとり宣言」を行いました。これは異例のことです。「ゆとり教育」に関しては、失敗を表明したようなものなのです。
気の毒なのは「ゆとり教育」を受けてきた世代です。
事実上「失敗宣言」をされたわけですので、「ゆとり教育を受けてきた世代」というポイントが“次世代を卑下して自己価値を守りたい”上の世代に格好の標的になってしまいます。実際に上の世代の一部が、若者を「ゆとり世代」と卑下するようになりました。
こうして「ゆとり」というワードにネガティブな印象が伴うようになりました。
年長者は「ゆとり世代」の感性を学ぶべき
一方で、「ゆとり世代」には「昭和クサイ」などと上の世代をバカにする雰囲気もあるようです。どの時代にも世代間のギャップや葛藤はつきものですので、お互いに揶揄し合うことは悪いことではありません。しかし、これを続けることはナンセンスです。
世代が違えば、生きてきた時代も、これから生きていく時代も違うのです。価値観や感性が異なるのは当然です。そして、この違いが融合することで新しい何かが生まれます。
実際に、当時「新人類」と揶揄された世代にはAKB48グループ・プロデューサーの秋元康氏、リサイクル運動家で政治家としても活躍した高見裕一氏など、その分野において新たな価値を創造した人々が数多くいます。
年長者は「ゆとり世代」と若者を揶揄するだけではなく、ゆとり教育を受けた若者たちに自分たちにない感性を学ぶべきではないでしょうか。
現代はいい意味でも悪い意味でも「昭和」ではないのです。新しい時代を生き抜くカギは「ゆとり世代」が握っているのかもしれません。
<執筆者プロフィール>
杉山 崇(すぎやま たかし)
神奈川大学人間科学部/大学院人間科学研究科教授。心理相談センター所長、教育支
援センター副所長。臨床心理士、一級キャリアコンサルティング技能士、公益社団法
人日本心理学会代議員。
公式サイトはこちら⇒ http://www.sugys-lab.com/
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