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雰囲気とは?みんなが感じていること
空気は言い換えると「その場にかもし出されている気分。ムード」(大辞林)とされています。「なごやかな-」「独特の-」など、-(ハイフン)部分に空気・雰囲気・気分のどのことばを入れても同じ意味になるでしょう。
つまり、空気とは、物理的なそれと違って意識的なのですが、たった一人だけの意識ではなく、その場を共有する人が共通して感じている、集合的な意識だということです。
そして、空気を理解するには自分がその場に居合わせることが重要でしょう。たとえば、コンサートの独特の雰囲気は、やはり、参加して体感できるもので、テレビで眺めていても実感はできないでしょう。
KYは共感性の欠如?
机やスマホなどのように、誰もが見えるように存在しているわけではない「空気」。
「ブーム」や「トレンド」など一時的なものから、「らしさ」や「性格」など比較的不変的なものまでさまざまです。いずれにしても、そんな主観的な現象が、あるかないかと問われたら、「ある」と実感できる人と、「見える化」できないから「あることがわからない」人とに分かれます。
そして後者がKYと呼ばれました。
たとえば、痛い思いを経験しなければ、ことばだけで痛みを理解することは困難でしょう。しかし、過保護や情報化社会の孤独により周囲がその子に「痛み」を経験させないことで結果的には「他者の痛みを自分の痛みとして感じる」共感性を育むことをおろそかにしてきたのかもしれません。
空気が読めない原因のもう一つは、現代人の「経験のしかた」にあるという考え方です。
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