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男性のような女性、女性のような男性
社会的な性別はジェンダーと呼ばれますが、たとえば「コトバ」はジェンダーの好例です。
かつては「男ことば」「女ことば」がありました。「好きだぜ」「好きだわ」と書けば、どちらが男性なのか女性なのか、大体わかりますよね。
しかし最近では女の子が「好きだぜ」と言ったり、男の人が「好きだわ」と言ったり、という時代に突入しました。
性別を象徴する言語においてさえ、従来の男性と女性という枠を超えた、「トランスジェンダー」な表現がよく使われるようになってきています。
いいかえると、かつてなら「男ならこうしろ、ああしてはいけない」「女性はこうするべき、ああするべきではない」といった、保守的で堅い役割意識や行動によって守られていた秩序が、価値の多様化や世界のグローバル化によって、だんだんと崩れてきているということでもあるでしょう。
「らしさ」にとらわれなくてもよい
男らしさ・女らしさは、ジェンダーの立場からいえば、既存の社会秩序を守っていくために強調されます。ですから男性性や女性性を認めていくということは、人間や社会が変わっていくことを認めることですし、「自由にやろうよ!」という生き方の承認でもあるでしょう。
男が男でなければいけなくて、女が女でなくてはいけない社会では、男性=男性性、女性=女性性、しかも、男女はお互いに全く違った対照的な存在、ということになります。
まるで、陽と陰、太陽と月のように、ペアでありながら相容れない存在というように性別は決められてしまいます。これを「二元化」と呼びます。
そんなしばり、つまり“「~らしさ」にとらわれなくてもいいんじゃない!?”というのが、最近の価値観の趨勢です。
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