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表情のないアジア人
竹内氏の主張などからすると、日本人を含めアジア人は西洋人から見ると表情に乏しく、「何を考えているかわからない」「不気味」などと思われることもあるそうです。
陽気なラテン系の南イタリア人などは、ジェスチャーや身振り手振りが派手で、「内臓まで使ってコミュニケーションをはかる」などと揶揄されるほどです。
反対に日本人は「沈黙は金」と、音声言語さえも少ないことを良しとする特徴もあり、ますます「わからない」と思われやすい文化さえ負っています。
日々国際化が進む現在では、国外へ出かけたり、国内にいても外国人と一緒にいる機会はかつてと比べると格段に増えました。そんな中にあって、竹内氏の言うノンバーバルな「見た目」を、もっと相手にとってわかりやすいものにして、コミュニケーション能力を高めようということは、確かに課題としてありでしょう。
また、相手を理解することについても、コトバだけでなくその人のノンバーバルな表情や目の動き、声のトーンなども含めて総合的に理解していくことの重要性が問いかけられています。
内面は外見に現れている?「見た目と見かけ」
竹内氏が言うような「見た目」と「見かけ(=うわべ)」とは同じなのでしょうか?
ちなみに冒頭の英語“ don’t judge a book by its cover ”は中身と外見(うわべ)を相反するものと分けて、「外見よりも中身が大事」というメッセージです。
同じように「見かけは大切」という時、内容はともかく外見を整えて、それらしく見せることが重要だというメッセージがあります。たとえば、大学4年生になって就職活動に白いブラウスと紺色のスーツを着るなどは好例でしょう。
そういう基本的なことができないと、企業は面接を受け入れてくれません。就職活動自体を制約されてしまいます。つまり、「舞台にさえ立てない」わけです。
これに対して、ノンバーバル・コミュニケーションの重要性を強調することは、単に「うわべ」を整えることとは意味が違います。
なぜならノンバーバルには、コトバが指し示す意味が「音としてのコトバ」だけでなく、ノンバーバルなしぐさや表情に「豊かに表現されている」というメッセージが込められているからです。
言い換えますと、「内面(意味)が外見に反映される」というのがノンバーバルです。ですから、見た目(外見)に何を見るのかというと、実は、内面を見るというのがノンバーバルの意図するところです。
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