(※記事中の語句のリンクは、その語句について詳しく解説したMocosuku姉妹サイトが開きます)
執筆:山本 恵一(メンタルヘルスライター)
医療監修:株式会社とらうべ
何でも他人のものはよく見えることを喩えて、「隣の芝生は青く見える」といいます。
このような羨望や嫉妬の心理はどのようなものなのか、また、どうすれば羨望や嫉妬に縛られずに済むのか、そんなことを考えるヒントをご提供したいと思います。
羨望と嫉妬:その意味
羨望とは、「自らがもたない優れた特質、業績、財産などを他者がもっている時に起こる、それらへの渇望」と定義されています。
つまり、他の人が良いものをもっていることが羨ましい、自分も欲しいと思う感情が羨望です。加えて、少々深読みをすれば、そんな良いものを他人は持っているのに自分は持っていないという、「自分自身を低く評価する」ことも、他人への羨望の裏側にはあるでしょう。
これに対して「嫉妬」は、人間関係において生じる感情です。
たとえば、自分の愛する人が、自分ではなくて誰かほかの人を愛している場合、自分の愛する人が愛している人を「ねたむ」というのが、典型的な嫉妬です。羨望と嫉妬とはこのように同じものではありません。
でも、羨望が嫉妬に変わっていくことはあるでしょう。羨ましいがねたましいに変わっていくと、その対象を破壊してしまいたいなどといった衝動に駆られることもあるでしょう。
どうして「隣の芝生が青くみえる」?
何かや誰かを羨ましいと羨望するとき、そこには、現実に優れた属性(能力・業績・容姿・財産など)がある場合と、次に述べるような思い入れが絡む場合とがあります。
苦労が見えていない
野球のイチロー選手を羨ましく思う心理には、イチロー選手が現実にどれだけ苦労を積み重ねているかを知らなくて、いわゆる結果のいいとこ取りをしていることもあるでしょう。
遠くから眺めている
たとえば、富士山は遠くから眺めると綺麗ですが、近くに行くとゴミの山など、世界遺産登録抹消の危機もささやかれているそうです。
このように、現実にはさまざまな良い点と悪い点があっても、遠くから眺めているとよい面しか見えず、羨望の的になることがあります。
自分に自信がない
相手をうらやむ気持ちの背後には、自分への自信のなさが潜んでいると先述しました。
謙譲を美徳とする私たちの思考は、悪くすると、相手がよくて自分はダメといった、羨望という色眼鏡ではじめからものを見る危険もあります。
ですから、最初はすごくできる人に見えたのに、しばらくつき合ってみると、つまらない人だとわかったなどといった、ゆがんだ人物評価をしてしまうことも、時折、起きる話ではないでしょうか。
スポンサーリンク